第四章 魔の山を越えろ 

 

早朝。テントの中で一人震えている男がいた。見ると、他の二人はシュラフ(寝袋)に入っているのに対し、彼はジーパンにヨットパーカーを着てるだけである。この男の名はオメガ。

「山の寒さなんて余裕だぜ!。」

とか言ってシュラフを持って来なかった大バカ野郎である。

「やっぱり寒かっただろう。」

起きた二人にさんざん言われて、オメガは非常に後悔したが仕方ないことだった。これから四日間、この状態で寝ると思うとゾッとした。

朝の透明な空気を吸い、清らかな川の水で顔を洗った三人は、出発の用意を始めた。例のごとく、テントを片づけるときは何もできないので、オメガはその辺をぶらぶらしている。と、河原に昨日からいた蝶を見つけた。

「おい、今日でお別れだ。」

オメガは蝶に近づく。蝶は黒い羽を美しく広げ、目の前の石の上に止まった。昆虫にも心があるのだろうか。

 その時、空想好きのオメガはふっと思った。この蝶はもしかしたら、人間の女の子が何者かによって変えられてしまった姿なのかもしれない。そう、何者かの魔力によって・・・・・・。

オメガは聞こえないように言った。

「オレは、お前の魔力を解くことができない・・・・。」

それがわかったかのように、蝶は再び羽を広げ、川の方へと飛んでいった。

「さらばだ・・・・。」

朝の河原での奇妙な別れだった・・・・・・・。

写真2:河原の蝶

クマちゃんのカメラによって撮られた貴重な写真である。これほど接近しているのに逃げないのは、やはり人間を恐れていないからだろうか。それとも、ただバカなだけなのだろうか

・・・・・・・・(いいや、そんな事はないぞ!)

 

九時頃になって、ようやく三人は出発した。今回は、クマちゃん・エイジ・オメガ、の順であったが、三分もしないうちにオメガがどんどん離されていった。

「あ、足が動かん。」

昨日の疲れがたまっていたのだろうか、足が泣きそうなほど動かない。さらに道はどんどん登り坂になっていく。とにかく頂上の笹子トンネルに着くまで、この登りは終わらないのである。ギアーを一番軽くして足の負担をなくし、ひたすら自転車をこぐオメガ。その横をバイクに乗った兄ちゃんが通り過ぎていく。

「クソーッ。」

オメガはバイクの免許が取りたくなった。さらにスクーターに乗ったじいさんが通り過ぎる。

「おめーが自転車に乗ったら、オレは絶対に勝つ!。」

と意味のないことを言っても、楽になるわけではなかった。

ひたすら走っているうちに、前方の店でクマちゃんとエイジが休んでいるのを見つけた。

「助かった・・・・。」

自転車を降りると、足がガクガクだった。

「オメガ、大丈夫?。」

クマちゃんの言葉にも答える気力がなかった。よく考えてみると陸上部を引退してから二ヶ月。さらに日頃自転車に乗っていなかったのだから、こうなるのも当然である。

しばらく休みをとり、再び三人は自転車に乗る。オメガはもう少し休みたかったが、わがままも言ってられない。

「じゃ、行きますか。」

二日目になって、クマちゃんのこの言葉は、三人にとって絶望の言葉となりつつあった。この言葉を聞くと、エイジもオメガもつい、ため息をついてしまうのである。

さて、登り坂は続く。相変わらず遅れていたオメガだったが、何とか笹子トンネルの前までたどり着くことができた。自転車を止めてオメガが言う。

「このトンネルって、どのくらいあるの?。」

「4キロぐらいかな。」

4キロ!かつて、このような長いトンネルに出合ったことがあっただろうか。

「命あったら、また会おう。」

三人は自転車にまたがり、いよいよトンネルの中に入っていった・・・・・・。

 

スタートの遅れたオメガは、トンネルに入るとすぐにエイジとクマちゃんを見失ってしまった。まさに孤独な旅人!ロンリー・トラベラー!いつになったら終わるかわからない魔のトンネルを、オメガはひたすら走る。

「ヒュオォォーー。」

冷たい風が体をよぎる。オレンジ色のライトをあちこちに光らせながらも、一種の不気味な雰囲気を作り出す笹子トンネル。と、その時だった。

「ゴオォォォォーーーーーーーッ。」

突然、前方からすさまじい豪音が聞こえた。いや、実際は後方から聞こえてきたのだが、トンネル内の音はすべて前から聞こえるような気がするのである。

「何かが近づいてくる!。」

暗黒の恐怖がオメガを襲う。突然、オメガの横を大きな物体が通り過ぎた。正体はすぐにわかった。

「トラックか・・・・・・。」

そう、まるで人間が道端の石を無視するかのように、巨大なトラックがオメガの横をすり抜けていったのだ。

「早くこのトンネルを抜けなければ!。」

そんな気持ちがオメガの心をよぎる。確かに、トラックがオメガにぶつかることはないだろう。だが、この世に絶対というものはあり得ない。早くトンネルを抜けるのに越したことはないはずだ。

前よりもスピードを出して、トンネルをかけ抜けるオメガ。と、前方に『工事中』の立て札が見える。

オメガは一度止まろうと思ったのだが、一人の男が『行っていいぞ』の合図を送っているので、そのまま通り過ぎようとした。と、その時。

「ゴオォォォォーーーッ!。」

今度は前方からトラックがやって来たのだ。片方の車線は工事しているため、道はオメガのいる一本道しかない!

「このままではやられる!。」

そう思ったオメガは、とっさにブレーキをかける。反動で、上半身がトンネルの壁にぶち当たった。

「ゴオォォォォ・・・・・・。」

トラックが通り過ぎた。オメガは助かったのだ。

さて、ピンチを切り抜けたオメガは、さっきの男に向かって叫んだ。

「貴様!誰に頼まれた!。」

しかし、トンネル内ではその言葉は伝わらない。

「チッ。」

オメガは身を翻すと、再び走り始めた。何者かがオレの進行を邪魔している、とオメガは思った。

だが前方に一すじの光が見えると、そんなことはすぐに忘れてしまった。

「出口だ!。」

 

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