第五章 甲府のブドウ 

 

空はやや曇っていたが、トンネル内に比べれば晴れみたいなものだった。なんとか笹子トンネルを抜けたオメガの前には、まさに天国としか言いようのない下り坂があった。

「デリャーーーーッ。」

またもやブレーキをかけずに走るオメガ。体を通り過ぎる風も、笹子トンネルのそれとは違って気持ちのいいものだった。今までずっと登り坂を登ってきたけれど、その甲斐があったな、とオメガは思った。相変わらず二人の姿は見えなかったが、一人もいいものだと開き直って、ひたすら坂を下る。

下り坂は長い間ノンストップで行けたのだが、一カ所だけ信号があり、そこで止まらなければならなかった。

しかしその後もゆるい下り坂が続き、オメガは難なくクマちゃんたちのいる場所に着くことができた。

さて、クマちゃんとエイジは、ある甲府のドライブインの前で待っていた。その名も「一ノ宮ドライヴイン。」この名は今後もオメガの脳裏から離れることはないだろう。

「フーッ、疲れた。」

自転車を降りると、オメガはすぐにサイフを取り出した。クマちゃんとエイジも待っていたかのように飲み物を買い始める。

限りないのどの渇きをうるおしてくれる、ダイドーの『スポエネ』570ミリリットル。三人は地面に腰を下ろし、できる限り体力を復活させた。

ある程度復活した三人は、改めて一ノ宮ドライヴインを見上げた。ドライヴインと言っても普通の家のような感じで、食堂とその土地の特産物を売る店とが合体したものだった。特産物というのはもちろんブドウ。中学校の地理で、甲府盆地のブドウとモモは重要項目の一つだったはずだ。

さて、事の起こりはクマちゃんの発言であった。

「せっかくここに来たんだから、特産物のブドウを食べて行きたいね。」

もう少し休みたかったオメガは、もちろん同意した。

「じゃあ、中で冷たい果物があるかどうか聞いてみよう。」

エイジも賛成したので(実際はどうだったかわからない)、三人はドライヴインの食堂へ入っていった。

食堂に入ると調理場に女の人が一人いるだけで、中はガランとしていた。メニューを見ると、ソバやうどんなどのしっかりした食べ物しか書いてなかったが、ずうずうしい三人は一応、女の人に聞いてみた。

「すみません。冷たい果物か何かありますか?。」

女の人が近づいて来た。それを見て、オメガはなかなか美人だな、と思った。が、彼女は都会にもいるような普通の美人ではなく、何か言葉では表せないような雰囲気があった。後に、クマちゃんが「素朴」という言葉を彼女に当てはめたが、それは適切であるように思う。

「ブドウならありますけど・・・・。」

女の人は調理場の奥の方へと戻っていった。そこは、まさに彼女の家としか言いようのない所で、彼女はそこの冷蔵庫を開けて中身を調べていた。

その時、クマちゃんとエイジは何か会話をしていたが、この時のオメガには聞こえていなかった。オメガの頭の中は彼女のことでいっぱいだったのだ。

髪はそんなに長くなく、首のあたりで切りそろえている。しかし、それがとても似合っていた。化粧はしていなく(後で二人に聞いたところ、多少はしていたようだが、それは商売上、仕方のないこととオメガは考えた)、それでいて美しく(あー恥ずかしい!)、エプロン姿もよく似合っている。クマちゃんの言葉を借りれば素朴で、それでいて内に何か輝きを秘めているようだった。残念ながら年はオメガより一、二年上のような感じだった。

冷蔵庫を調べ終わった彼女が戻ってきた。そして言う。

「あ、モモもありました・・・・。」

おそらくこのブドウとモモは、彼女の家で食べるために用意していたものだったのだろう。それを惜しげもなく出してくれるとは・・・・・・・。疲れ切った三人の旅人にとって、これほど感動することはなかった。

結局、クマちゃんとオメガはブドウを、そしてエイジはモモを頼んだ。彼女は調理場で、ブドウとモモの用意を始める。オメガは二人に、よっぽど

「あの人、美人だね。」

と言おうと思ったが、

「そうか?」

と言われるのが恐くて言い出せなかった。

さて、ブドウとモモを待っている間、ただ一人モモを頼んだエイジは、クマちゃんとオメガに馬鹿にされていた。

「ブドウはたくさん実がついてるから何度も味わえる。しかし、モモは一回で終わりなんだぜーっ。」

少なくとも、オメガたちは女の人に聞こえないように言っていた。ところが、エイジという男は、突然大きな声で叫んだ。

「ブドウの欠点を教えてやろう!。」

エイジの声が店内に響き渡る。女の人にも聞こえたに違いない。やばいんじゃないの、とオメガとクマちゃんは思った。しかし、エイジはすさまじい男だった。

「それは、一度に一粒しか食べられないことだーーーっ!。」

またも店内に響くエイジの声。エイジが変なのは自分にも責任があるとオメガは思うことがあるが、今回だけはそれを認めたくなかった。

とりあえずオメガとクマちゃんがフォローして、その場は切り抜けたのだが・・・・・・。

調理場を見ると、二つのブドウと、きれいに切ったモモとが用意されていた。三人はあれを食べるんだな、と思って席に着いた。

 

それから、なぜか二分程して女の人はブドウとモモを持ってきた。ブドウはもちろんそのままの状態(ようするに皮を取らない状態)で出されたが、エイジに出されたモモは、皮をむいてない丸ごとのモモだった。そして皿の横に皮をむくナイフが置いてある。

「あれ?さっき切ってあったのは・・・・・・?。」

これはおそらく、果物を愛する女の人が、ブドウを思いっきり侮辱したエイジを罰したものだろう。それにしても、あれだけブドウを馬鹿にしておきながら、ひたすらモモの皮をむくエイジを、二人は笑わずにはいられなかった。

「なんか、さっき偉そうな事言ってる奴がいたよなあ?。」

「そうそう、ブドウの欠点を教えてやるとか・・・・。」

皮をむくエイジをよそに、おいしそうにブドウを食べる二人。

「クソー、今に見てろよ!。」

というエイジの言葉にも、さっきほどの説得力はなかった。皮をむき終わったエイジが、

「あー。うめえ。」

と言って食い始めた時は、既にオメガもクマちゃんも食い終わっていた。

むなしい。まさにむなしい男エイジ。店内のクーラーの音が、このむなしさを一層かき立てた。

 

三人が食べ終わって皿を調理場へ返すと、再び女の人が出てきた。

「いくらですか。」

エイジが尋ねる。しかし実際は売り物ではないブドウとモモ。値段がわからなかったのだろう。

「ちょっとお待ち下さい・・・・。」

そう言って女の人は外の店の方へかけ出していった。

その姿がまた実にいい。サンダルをひっかけて、何も言わずにかけ出す姿は、都会では見られまい。オメガは都会にこのような人はいないと断言できた。

女の人は戻ってくると言った。

「ブドウが150円で、モモが200円です。」

案外安いな、そう思って三人はお金を払った。

ちらっと見ると、調理場の横の階段に白い犬がいるのを、オメガは発見した。ああ、この人は動物を愛する人でもあるんだなあ、とオメガは勝手な解釈をした。満足した気分(エイジはどうだったか知らないが)で、三人は食堂を出る。その時、さっきの女の人が値段を聞きに行った店の方をのぞくと、一人のおじいさんが何か手仕事をしていた。このような田舎のドライヴインで、おじいさんと犬と三人だけで素朴に暮らしている女の人。オメガはこの時、自分の理想はこれだ、と気付いたのだった。

自転車の前まで来てしまった三人は、もうこれ以上休むわけにはいかなかった。

「じゃ、行きますか。」

例のごとく、悲しい出発の合図。

「いつかまた・・・・・・・。」

そんな思いを胸に秘め、オメガは二人の後を進んでいくのであった・・・・・・。

 

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「川を求めて」

自転車旅行記

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